(2020年3月9日公開、3月10日、3月11日修正)

【新型コロナウイルスの事象についてどう考え対峙すべきか整理のつかない方への処方箋】

 現在、新型コロナウイルス(CO-VID19)が生物学的以上に、心理的、社会的に猛威をふるっています。 
 ここでは、エッセンシャル・マネジメント・スクールでお話しした新型コロナについて本質行動学(構造構成学)の観点から整理した内容を特別公開させていただきます。

 新型コロナウイルスは必ずしも平均的な致死率が非常に高いというわけではありませんが、なぜ、どの程度、怖れなければならないのでしょうか? 騒ぎすぎという声もありましたが、そうとばかりもいえない気もします。正しく怖れようとも言われますが、怖れの正体がわからないと、正しく怖れるはできません。

 この記事の目的は、私たちに立ち現れているこの新型コロナウイルスという事象を巡る謎を解明するものです。

 もちろん、現在あきらかになってきている生物学的なエビデンスも参照にしますが、「そもそもなぜ人は怖れるのか? 何が怖れの条件となっているのか? 感染症特有の恐ろしさとは何なのか?」といった根源的な問いからはじめ、我々を取り巻いているこの事象を心理的、社会的に解き明かしていきます。

 これによって、なるほどそういうことだからこういう風になっていたのね、じゃあここをやってればそれ以上過剰に怖れることはないんだね、と深いところで自己了解できて、深く息をして、肩の力が抜けて、免疫が高まり、生きやすくなる一助にしていただけたらと思います。

人はなぜゴキブリを怖れるのか?-予測不可能性と制御不可能性

 それでは、はじめていきましょう。

 本質行動学は、根源的な問いから始めます。

 

 そもそも我々人類はなぜ未知の伝染病を怖れるのでしょうか?

 

 まず、過去に甚大な被害を出してきた歴史を我々は知っています。ペストは14世紀には「黒死病」と呼ばれ、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後、イギリスやフランスでは過半数が死亡し、全世界で8500万人が亡くなったということです。

 言い換えれば、伝染病を怖れてきた人間が生き延びて我々はその遺伝子を持っているから伝染病を怖れる、ということもできるでしょう。

 しかし、過去のペストのように致死率が高いなら怖れるのはわかるのですが、少なくとも日本においては決して致死率が高いとはいえない新型コロナウイルスを、なぜここまで怖れるのでしょうか?

 大学院の頃に、怖れの一般公式というものを考えたことがあります。

 

【対象への怖れ=実害(心理的なものも含む)×予測不可能性×制御不可能性】

 

というものです。 関数で表せばF=f(h, up, uc)となります。

 

 人はなぜゴキブリを怖れるのか? あれは、突如顔面めがけて飛んでくるかもしれず、いつ現れるかわからないといった予測不可能性があるためです。ゴキブリが亀のように動きがのろくて飛ぶこともなければ予測できますから、それを制御する(対応する)ことも簡単です。あそこまで怖れは喚起されないはずです。

 予測不可能性と制御不可能性の最たるものが自然です。池田清彦先生が創唱された「構造主義科学論」*において、科学とは予測可能性、制御可能性のある構造を追及する営みであると科学の本質を言い当てたように、自然を怖れた人類がなんとか制御しようとして発展してきたのが科学です(*本質行動学のメタ理論となっている構造構成学の科学論にはこの構造主義科学論が原理として据えられています)

 伝染病も自然の恐るべき脅威の一部であり、それに特化して発展してきたサイエンスが、現在の感染症学といえます。

 

 なお今回ダイヤモンドプリンセス号に乗船し時の人となった感染症学のエースと言われる岩田健太郎さん(神戸大学教授)は、SARS、エボラに対応してきた本当に意味での感染防止の専門家ですが、「構造構成的感染症学」の著書も書かれています。

 

 しかし、新型コロナウイルスは実害という面ではエボラ出血熱のように致死率が高いものでありません。まだデータが蓄積されている最中ですので正確なことはわかりませんし、国によって分散がありますが、概ね100人に1人〜数名亡くなっているので、このまま感染者数が増えていくことで致死率はおそらくインフルエンザと同程度か前後する値に収束していく可能性が高いと思われます。

 

 ではなぜ一般的には致死率が低いとされる新型コロナウイルスを、ここまで忌避するのでしょうか?

 言い換えると、なぜ同程度の致死率のインフルエンザではアメリカでも1万4000人以上もの人が亡くなっているにもかかわらず、死者がほぼ出ていないコロナをここまで怖れるのでしょうか?

 

新型コロナを怖れる3つの心理条件

 新型コロナを怖れる心理の条件は以下の三つにあると考えられます。

 

 条件①としては、まだ未知の部分が残されているということがあります。まだどうなるかわからない、特性も弱点もよくわからない。未知であることは予測不可能性と制御不可能性を孕むため、それは過剰な恐れを引き起こすのです(これを「ウイルスの未知性」と呼びましょう)。

 

 条件②としては、平均すれば致死率は低かったとしても、持病を持つ人や高齢者の致死率がそれなりに高いこと。

 当初たいしたことないと言われていましたが、データが蓄積されてはっきりしてきたのは、それが与えるダメージに年齢層に大きなギャップがあり(これを「重篤化と致死率の年代層ギャップ」と呼びましょう)、高齢者の場合1〜2割といった確率で亡くなっています。

 しかし、若者~中年層は重症化することは稀で自覚症状もないことも多いため動き回れるのですが、それによって感染を広げてしまい、高齢者に感染した場合にけっこうな確率で重篤化して亡くなってしまうことがある。

 これがどの年代に対しても0.2%の致死率といったものであれば、インフルエンザを大きく下回るのでそんなに気にしなくていいとなったと思うのですが、この「重篤化と致死率の年代層ギャップ」が、このウイルスの特有のいやらしさ、やっかいな特性となっているわけです。

 

 条件③としては、感染源が特定可能であることが挙げられます。

 インフルエンザのようにあまりにポピュラーになった感染症は、どこの誰から感染したか特定することは実質的にほとんどできません。あのときかなと当たりがついたとしても、他にもいくらでも可能性がある以上、確定することはまずできません。

 しかし、新型コロナはまだレアなので、検査を通じて感染源が特定されます。感染した人たちの濃厚接触場所を推定していき、共通項が見出されることによって、どこのライブがきっかけで広がったとか、屋形船に乗っていたといったように特定することが可能です。

 これを「感染特定可能性**と呼びましょう。 (**概念があるとみえやすくなることがあるので、いくつか造語を創りながら説明していきます。難しいと思ったら造語は無視して読み進めてください。専門家の間で類した呼び名があるかもしれませんのでご存じの方はご教示ください)。  

 「感染特定可能性」のある伝染病の場合、被害者になった途端に加害者になる可能性が出てきます(これを「被害者加害者の同一性」とでも呼んでおきましょう)。

 

 そして、この新型コロナの場合、高齢者や疾患のある人が身近にいた場合に、自分は重篤化せずとも、その身近な誰かを死の契機になる、つまり加害者になる可能性があります(加害可能性)。さらには感染した途端に自身が隔離されるのみならず関係している施設が一定期間無力化されます。

 

 そして誰かに感染させてしまった場合、その人までも加害可能性を付与してしまうことになります(これは「加害可能性の付与」と呼んでおきましょう)。この「加害可能性の付与の連鎖」によって、この自分が「自分から感染した多くの人の死の連鎖の起源」となる可能性が出てきます。これを「加害可能性の付与の連鎖による死の感染起源化」とでも呼んでおきます。

 国家レベルでみれば、一人でも罹患することで、被害者=加害者の連鎖が続き被害は甚大になる可能性があります。1000万人罹患すると致死率1%でも10万人死亡するのです。

 

 自分自身が、たくさんの命の終わりを招いた契機となることほど恐ろしいことはないでしょう。 

 それだけはなりたくない。誰もがそう思うがゆえに、それゆえに、感染している可能性がある人を忌避するようになるのです。

 

 これは、差別する側になると同時に、差別される側にもなりうるということでもあります(これを「差別性と被差別性の同時創発」と名付けておきます)。 

 そしてこれが人と人の間だけでなく、人種と人種の間、さらには国と国の間、にも生じます。そのウイルスが蔓延したとみなされれば、国ごと、差別と隔離の対象になるのです。そのため、各国は入国や隔離を徹底的に管理しているわけです。

 ホリエモンさんは「騒ぎすぎ」といっており、同じような印象を持っている人も一定数いるとかもしれませんが、先にも論じたように、これは生物学的にリスクのある事象であると同時に、心理的、社会的事象でもあり、国際的に孤立した際の経済的な影響は計り知れず、それにより倒産が相次げば、自殺など他の形で失われる命が出てくることは容易に想像できるため、現状では「騒ぎすぎ」でかたづけるわけにはいかないのです。

 

 ここで創った造語を使ってまとめると、「被害者加害者同一性」「加害可能性の付与」という特性から、「加害可能性の付与の連鎖」「加害可能性の付与の連鎖による死の感染起源化」という可能性が生じ、それゆえに「感染者への忌避」「差別性と被差別性の同時創発」といった事象が生まれてくるのです。そしてこれが人と人の間のみならず、国と国の間にも生じ、「疑心暗鬼」と「関係性や社会の分断」を生みます。  

 

 これが伝染病の心理-社会的側面の本質洞察になります。(こうした議論はどこでどのようにされているのか知らずに論じていますので、詳しい方はこれはここに書いてあるよといった情報をご教示いただけるとありがたいです。)

ゾンビ映画がなぜ形を変えて作られるか?

 余談ですが、ここでふと、上述した「伝染病の本質」こそゾンビの恐ろしさの本質では?とおもったので、「ゾンビの本質」で検索してみました。すると出てきたのが、邦題が「新感染」という韓国のゾンビ映画でした(観たことないですがなかなか名作のようです)。  

 実際、こうしてみてみると、この「被害者加害者同一性」「加害可能性の付与」「加害可能性の付与の連鎖」「加害可能性の付与の連鎖による死の感染起源化」「感染者への忌避」「差別性と被差別性の同時創発」「疑心暗鬼」「関係性や社会の分断」といったコンセプトは、どのゾンビ映画にも共通する通奏低音になっているのがわかります。

 ゾンビ映画がなぜ形を変えて作られるか、それは伝染病を怖れる人類の記憶にその根拠をもっているということが言えそうです。

 

 さて話を戻します。

 条件①「ウイルスの未知性」

 条件②「重篤化と致死率の年代層ギャップ」(持病を持つ人や高齢者の致死率がそれなりに高いこと)

 条件③「感染特定可能性」が、人々が新型コロナウイルスを忌避する条件になっており、それが社会に疑心暗鬼と分断を生んでいるという構造になっているのでした。

 

 裏返せばこれらのどちらかの条件がなくなれば、社会的にはふつうの風邪としてみなされるようになってくるということです。

 条件①の「ウイルスの未知性」がなくなれば、すなわちこの「新型コロナウイルス」がどういう特性をもち、どれだけの感染率があり、どういう年代にどれだけの実害をもたらし、どういう環境で強く、どういう環境に弱く、どういう対策をすればよいのかがわかってくれば、「既知のコロナウイルス」となっていき、恐れは大幅に減じるでしょう。

 

 条件②の「重篤化と致死率の年代層ギャップ」は、ワクチンや特効薬などが開発されることで持病を持つ人や高齢者の致死率が低くなれば、特段怖れる必要はなくなります。

 

 条件③については、新型コロナがあまりに一般的になって「感染特定可能性」がなくなれば、自分が感染源とみなされる可能性がなくなるため、人々は手洗いやうがいといったエチケットは守りながらも社会は一定のリスクを飲み込み平常運転しはじめることと思います。

 

 岩田健太郎さんが、ある記事***で、「現在のインフルエンザの1/3は2009年に現れた新型インフルエンザである、我々は現にこの死亡率1%の新型インフルエンザウイルスとともに生きていくという選択をした」ことを指摘されています。

 ***感染症もサッカーもゼロリスクを求めてはいけない』岩田健太郎教授に緊急取材、サッカー観戦の感染リスクとJリーグ再開の是非(後編)

 上記の条件①〜③のいずれかが消滅していくことで、新型コロナウイルスを既知のウイルスとして受け入れて、ふつうの「風邪」となりともに生きていくことになるでしょう。

 上記の記事でも岩田さんが、「ただ、いまは抑えるチャンスは結構あるので、あきらめてしまうのはまだ早い。この1、2週間が勝負というのはそういうことですね」とおっしゃっているように、諦める時期ではない。

 ここで、感染を急激に拡大させてしまうと医療崩壊が起こるといったこともありますが、何よりも国家として孤立することになり、その被害は甚大になりかねません(人命にもかかわってきます)。
  

 wikipediaによるとインフルエンザは「飛沫中のウイルスが感染力を保つ期間は、湿度と紫外線強度により変化する。冬では、湿度が低く日光が弱いので、この期間は長くなる。」ということなので、もし新型コロナもそうであれば、春になることで収束していく可能性があります。もちろん、今後も感染者は増えるでしょうけれど、「1~2週間が急速な拡大に進むか収束できるかの瀬戸際」(専門家会議/2月24日時点)で、全国民が抑え込みにかかって国内のパンデミックを抑制し、ピークを遅らせることができれば医療崩壊も防げて、「春将軍」がやってくることでなんとなるのではないかというのが、「やや神頼み」ではあるものの、大筋の戦略だったと理解しています。

 

 ただし、このウイルスが本当にインフルエンザと同じような環境に弱いのかまだはっきりしたことはわかっていませんので(ウイルスの未知性)、気温が高くなっても弱まることなく、初夏になっても衰えることはないと複数の専門家が言っており、専門家会議も「数カ月から半年、年を越えて続くかもしれない」ということなので、また日本で抑え込んだとしても、他国で急激に増え始めているので、長期戦になるのかもしれません。 

 

 それでも幸か不幸か、人はどんなことにも慣れていきます(「慣れ」の原理)。またひとつのことに関心を持ち続けることはできず飽きていきます。身も蓋もないようですが、それも人間の本質です。特に度を超えた我慢は長期間続きません。我慢や忍耐には筋力と同じように「意志力」を用いるため、どうしても疲れてきてしまうのです。

 

 したがって、新型コロナウイルスが世界で一定の収束をみせ、上記の条件①~③がクリアされていくことで、世界は、自覚することもなく、この我慢を続けるぐらいなら一定のリスクをとって共存していく道を歩んでいくことになると思います。

 

ウイルス=悪ではありません

 誰もいないところで大地震が起きてもそれはただの自然現象です。地震が起きて人間に大きな被害が出たときに「震災」となります。同じようにウイルス=悪ではありません。ウイルスが人間や社会に甚大な被害を耐えたときに「大災害」となっていきます。

 

 過剰にウイルスを怖れて、ストレスをかかえて免疫が下がっても本末転倒です。あなたの免疫力が高く、ウイルスに罹患しなければあなたにとってウイルスは自然現象に留まるのです。

 コロナに関するニュースやメディア報道、SNSに恒常的に触れていると、私たちの現象に「コロナ」が立ち現れ充満していきますので、しんどくなってきます。そのまま続けていると鬱っぽくなってしまいますので、そういう方は長時間ニュースを見続けるのをさけて、SNSからも離れてみるのもよいと思います。私たちが見ても見なくてもコロナの社会的趨勢にはかわりありませんが、見過ぎることでストレスになりあなたの免疫系は弱体化します。

 

 連日報道に接し続けていると、あたかもコロナが身の回りのあちこちに実在するかのように感じてしまいますが、高山義浩医師が2月28日時点ではありますがFacebookの記事で「実のところ、現時点では、皆さんが普通に暮らしていて、新型コロナウイルスに感染する可能性はほとんどありませんと述べていたように、リスクのあるとされる場所でなければ、今のところ実際はコロナに遭遇する可能性はそれほど高くないというのは頭に入れておいたほうがよさそうです(高山医師が「ただ、唯一、リスクある場所があります。それは病院です。だから、いまの段階で最も実効性のある感染予防とは、行かなくていいなら病院に行かないことですよ」と述べておりこれは新型コロナウイルスに限らず守ったほうがよいことなのでしょう)。

 

 上述したことで、私たちがなぜウイルスを怖れるのかその構造はご理解いただけたかと思います。今が大きな岐路なのは確かですが、だからといって私たちにできることは限られています。それをやっていたならば、それ以上できることはないのですから、それ以上過剰に新型コロナウイルスのことばかり考えることはやめたほうが心穏やかに暮らせそうです。

 

 また、こういう事態になると「あの国は危険だ」とか、「あの国の人は感染している」とか、国名や人種、民族を契機としたレッテルや差別が横行しがちです。ゾンビ映画に共通するテーマとして、「結局のところゾンビより人間のほうが恐ろしい」というものがありますが、まさに今回の感染病でもそういう実感をされているかたは少なくないのではないでしょうか。

 

 ではそもそも「日本」とか「アメリカ」とか「中国」「韓国」といった「国」とは何でしょうか? 原理的にいえば(徹底してドライに考え抜けば)、それは「名」です。国は椅子や机のように実在しているわけではありません。身も蓋もないようですが、本当のことです。

 

 「何を言っている、日本はこうして実在しているだろう!」と思うでしょうし、その気持ちもわかるのですが、よく考えてみると私たちは日本という実在する国家を触ったことがありません。

 

 国旗や国歌が国ではありませんし、国会議事堂が国家なわけでもなく、総理大臣が国家なわけもなく、ましてや地面が国家なわけでもありません。「国境があるだろう」と思うかもしれませんが、それも人間が恣意的にしいたラインにすぎず、それが水の上、上空何千メートル?だったりするわけで、たとえそこに壁があったとしてもそれが国なわけではないでしょう。

 

 国家とはある特定の人間と土地をもったまとまりに「名」をあたえて、ひとつのまとまりとしてみなしている、ということなのです。言ってみたら共同幻想として立ち現れているものなのです。

 

 もちろん、こういう事態になると感染を抑え込むために、やむをえず特定の国を入国禁止にしたりといった対応は現実的にしなければならないことはあります。

 ただ、相手を否定する気持ちをもつことはない。

 現実的な対応すべきことは対応すると気持ちをもたずに、現実的に対応すべきことは対応すると考えたほうが、ストレスにもならず免疫力を高められますよね

 

 つい「○○人は」「〇〇の国は」と国名で一般化しそうになったら、知っている「○○人」のことを思い浮かべてみてください。当たり前ですがそれぞれ個性があって、自分のなかの「○○人」のイメージに還元できないことがわかるはずです。外国人に直接知り合いがいないという人は、「日本人」の面々を思い浮かべてください。現実はあまりに多様で個別な人が居るだけで、とても「日本人」とひとくくりにできないとわかるでしょう。それは他の国の人でも同じなのです。

 

 「○○国はすべて感染されている」といったことや、「○○人は全員感染者だ」といった過度なレッテル貼りや差別意識は、そもそも「名」を契機とした幻想でもあり、一人一人違う人間だという当たり前の現実をちゃんとみて、過剰な無駄な脳内消耗や意味のない対立を避けて、心穏やかに暮らせるように心がけたいものです。

私たちが目指すべき未来

 もうすぐ2011年3月11日から9年となります。

 
 「この悲惨な出来事を肯定することは
 決してできないけれど、
 あのことがあったからこんなふうになれたと
 思うことはできる。
 それが、ぼくたちが目指すべき未来なのだ。 」

 

 これは震災後に自分に言いきかせるように書いた言葉です。

 この新型コロナによる災害にも、同じように思うことはできます。

 自分が罹患するかもしれない、誰かにうつすかもしれない恐怖、その保証がないというストレス、正直、大変です。犠牲者も出ています。対応も遅めだったかもしれない。

 この出来事を肯定することはできないけれど、あれがあったからこんなふうになれたと思うことはできる、それが私たちが目指すべき未来なのではないでしょうか。

 実際、ピンチは進化のための機会にすることはできます。


 2人の娘が行っている保育園では、インフルエンザも含め「風邪」が激減しました。みんなが鼻水を垂らしているというような状況がみられなくなり、健康で暮らせるようになっています。みんなが徹底して手洗いやうがいをするだけで、ここまで風邪って減らせるのだなと実感することができたので、この習慣は続けていきたいと思っています。

 

 またサイボウズの青野慶久さんは、3月6日「がんばるな、ニッポン」と題する新聞広告を出して「今こそ、私たちは出社や出張をがんばらせず、テレワークという選択肢を検討すべきではないでしょうか」として、サイボウズが10年前から実施してきたテレワークの経験を共有するWebサイトを開設して、twitterでも迅速に質問にお答えすると述べています。

 

 エッセンシャル・マネジメント・スクール(EMS)も、もともと北は北海道、南は沖縄までの80名ほどのメンバーで95%はテレワークで運営されています。そして授業についても新型コロナの動向を踏まえて、2/17日の時点で、250名の授業を中止でも延期でもなく、全部オンライン(Zoomを使ったリアルタイム授業&Movie Based Active learning)で行う意志決定をしました。

  

 それは、一方的な配信授業ではなく、250人規模の25チーム、50ブレイクアウトのオンライン授業です。この規模のこうした対話を含む授業は世界でもあまり前例がないのではないでしょうか。第6,7,8回と行っていますが、参加者の感想を見ていると学びの質はまったく落ちていないどころか、学びの充実度が増しているように感じています(実は先の青野さんはエッセンシャル・マネジメント・スクール(EMS)のゼロ期生でもあり、ちょうどこの3月11日に本質行動学基礎原理コース2期第9回の講師としてもご登壇いただきます。)。

  

  EMSでは、なぜこうしたことが可能なのでしょうか。

 

 それはEMSでは当初から「オンラインを極める」というコンセプトのもと、ゼロ期生にあのスクールタクトの開発者の後藤正樹さん、『Zoom革命』の著者 田原真人さん、日本ではじめてネットから現れた小説家でインターネットの女王と呼ばれた田口ランディさんがおり、1期からはハイブリッド配信の世界屈指の技術を持つチームFの福島 毅さんが参画しており、ゼロ期、1期、2期と経験とノウハウを積み重ねてきたためです。今後も、新型コロナウイルスに対応すべくEMSは新たな授業形態に進化させていきます。

 

 新型コロナへの対応は大変ですが、こうでなければならないという思い込みをUnlearningするチャンスでもあります。オンライン授業等のノウハウを提供してほしいという方は以下にご連絡いただければ、上記のメンバーからなる専門のEMSオンラインサポートチームをご紹介させていただきますので、ぜひお気軽にご相談ください。

 online-support@essential-management.jp
 

みなさまが前より少しでも心穏やかに過ごせますようにという願いを込めて、一般公開記事を書かせていただきました。今日もよい一日をお過ごし下さい。


(2020年3月9日公開、3月10日、3月11日修正)

 

エッセンシャル・マネジメント・スクール 代表&創立者 西條剛央